雑兵日記PREMIERブログ

あなたの心の琴線、かきならします
「精霊、注意書きを憂う」 by アフリカの精霊
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    最近、テレビのテロップや広告において、過大とも思える注意書きが見られる。

    「これは番組上の演出であり、実際は…」
    「これはCMです。本当にやると…」
    「実際の製品は見本と違うことが…」

    わかってるわ!と言いたいくらいの注意がある。
    「アニメを見る時は離れて…」なんていうテロップは以前あったピカチュウの光により子供が倒れた事件もあってから流れ出したもので、私が小さいころにはなかったものである。
    こういうものならまだ許せるが
    「このあと、この食べ物はスタッフがおいしく…」
    「良い子はマネしないでね…」
    なんてものになると、もう注意を通り越して笑いのネタともとれるようになっているものもある。

    これもそういうことを注意なしにやってしまうと苦情や相談の電話をかける人がいるからなのであろう。
    ただ、おむつの宣伝をみて
    「うちの子は青いおしっこではないんですけど、身体がおかしいのでしょうか?」
    とある主婦が電話をかけたせいで、少しの間そのメーカーは
    「商品の紹介のため青い水を使っております」なんて注意書きをCM中に小さく書くようになったことなどをきけば
    そこまでテロップを書かないとダメか!?って気持ちになる。

    あらゆるものの説明書もそうなのかもしれない。
    医薬品の注意書きはまだいい。
    電化製品ともなると、こんな使い方するか!?っていう使用方法が注意されていることもある。
    まあ、これこそ見なければ済むことだが、いきすぎる注意書きに嫌気がさすこともある。

    あ、そうそう。
    アメリカの話で、ネコを風呂に入れたあと、電子レンジで乾燥させようと入れた結果ネコが死んでしまったことでその主婦が「ネコを電子レンジに入れてはいけない」って説明書に書いていないメーカーが悪い」って裁判に訴えた結果、多額の賠償金が認められたっていう話、ウソらしいですよ。アメリカの訴訟にそんな話はないようです。
    でも、ここまでの説明義務を求められるとさぞかし禁止事項ばかりで面白くない世の中になりそうですね。

    法律を勉強していて、一番気になる注意書きが
    「この駐車場に許可なく駐車したものには3万円の罰金を戴きます」
    と言った町の月極駐車場でよく見るものです。
    これって、法律的には相手の言いなりの金額を払わなくていいんですね。
    罰金って個人で勝手に金額を決めていいわけじゃないんです。
    じゃ、10万円なら10万円払わないといけないの?100万なら1億ならって話になるじゃないですか。

    他人の土地に許可なく(駐車代を払わず)駐車した場合には民法709条の不法行為となり、相手に損害賠償をしなくてはなりません。
    では、許可なく駐車したことによって相手にどんな「損害」を与えたのでしょう。

    まあ、せいぜいその時間帯有料で貸せていたにも関わらず、その金が入らなかったってことくらいでしょう。
    つまりもし、駐車していた人が「有料でいいから貸してください」と言われた時にはまあ、1時間300円くらいで貸すかもしれません(実際は月極なので不可能でしょうが)。
    地主としてはその金が入らなかったとして、それが「損害」となるのです。
    まあ、実際に認められるのはそれに慰謝料をプラスして3倍くらいじゃないですか?
    つまり1時間停めたことによる賠償金はせいぜい1000円といったところだと思います。
    それを初めから3万円なんて金額を提示していても、実際払う義務はないと言えます。

    もちろん、こちらが3万円という金額に納得して払ってしまうのであれば、問題はありませんが、実際法律的にいえば到底認められないような金額を事前に不法行為をした場合の損害賠償金として示しておくというのは、何か法律を知らない人に対しての脅しのような気がして精霊自身この駐車場の注意書きには見るたびに嫌な思いをしています。

    でも違法駐車も多いと聞きますし、こうでも書かないと減らないのであれば仕方ないんですかね?
    | アフリカの精霊 | アフリカの精霊 | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する |
    夢競馬の人々(53)  葉山悟
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      「待ってくださいよ」彼女が僕の腕を取って引き止めた。卓上の札束を夫が掴み、差し返した。「予想会社の件と、あなたに対する御礼は関係ありませんから」
      「片山さん、はっきり言います。お約束は1回限りでしたよね。個人的な予想と組織のそれとは違うと言いたいのでしょうが、予想を立てるという意味では、僕にとっては全く同じ事なんです。それにしても貧し過ぎませんか。そのまま行けば際限がありません。今日は10回に1度の僕の予想が的中したラッキーな日という事で、このまま豊かな気持ちでお開きとしませんか」
      それまで沈黙気味だった夫の片山氏がボソッと言い放った。
      「貧し過ぎるって・・・一体どういう意味なんだ。もしかして私達の現状を、店や退職金まで失いかけているという現状を、単なる貧しさを超えて貧し過ぎるって皮肉っているのか」
      彼の憤りは突っけんどんな語尾に表れている。“貧し過ぎる”という言葉が彼のプライドに触れたのだろう。しかしそれ以上に片山夫妻を形容する言葉を思いつく事は出来なかった。
      「僕はお金や物があることを真の豊かさだとは認めません。同様にお金や物が無いことを貧しいとも思いません。本当の貧しさとは青天井の貪婪さ、手に入れてももっと欲しい、まだ足りないという気持ちにあると思います。少し前の日本のバブル経済がそうでした。日本国中お金や物で溢れていたのに、まるで豊かさを実感できなかった。土地は投機の対象となり、びっくりするような値段で取引され、国中の土地が買い漁られた。もっと上がるだろう、まだ高騰するということで取引や駆引きにされた。その結果どうなりました。いまだ日本はバブル期の後遺症から抜け出せないでいる。僕はあなた方に説教じみた事を言うつもりも、言えた義理でもありませんが、自戒の言葉として聞いてください。現状をいかにありのままに受け入れることが出来るか。満足って、満ち足りるってことですよね。満ち足りることを知らないってことはとても哀しい、とても不幸なことだと思っています。どうか今日のラッキーな日を再興の契機としてください。このお金は僕は確かに受け取りました。そして改めて再出発の御祝いとしてプレゼントします」
      そこまで言い切ると僕は居酒屋の席を立ったのである。
      | 統括本部長 ハッガリーニ | 葉山悟 | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する |
      夢競馬の人々(52)  葉山悟
      0
        自殺という言葉に片山夫妻がピクッと反応した。まるでボクサーがジャブを喰らったかのように。
        「他人の人生を背負うってことはそういうことだと思います。つまるところお金や物で片付けられない、それこそ一生涯、生きている限り引き摺って行かなければならない心の澱(オリ)みたいなもの、それを抱え込むことだと思います」
        夫はどこか沈み込んだ表情で遠くを見つめている。しかし妻は素早く反応し、強烈な右フックを打ってきた。
        「いいえ、それは絶対に違います!!たかが競馬じゃないですか。人生を背負うなどという大袈裟な事ではないでしょう。仮にあなたの予想が10回に1回的中するとします。その1回を楽しみにお客さんはあなたの予想を待っているのです。あなたの予想が全て当たるとは考えていません。期待値は一割。その程度に気楽に考えていただければいいのではないかしら。あのワクワク感、馬込みの中から意中の馬のゼッケン番号が飛び込んでくる。
        仕事のストレス、人間関係のもつれ、生活のモロモロの厭な事、こういったものがきれいさっぱりどこかに吹っ飛んでしまいます。そのワクワク感や、日常生活やストレスから開放された瞬間をセンセの予想で味わうことが出来るのです。それを実感出来た時にしか代金は頂きません。それのどこが詐欺なんですか。詐欺どころか人様に感謝されるべきことでしょう」
        競馬を愉しむ。ギャンブルのスリル、ワクワク感を味わう。それはあくまで個人レベルでのいわば自己責任に止まる話だ。
        しかし<馬と会話できる男の競馬予想。サークル入会のご案内>となると、まるで宗教団体の勧誘そのものではないか。御布施は馬券の予想を購入する事だ。この女性の強かさは新聞記者の夫をはるかに凌駕している。「センセ」と「あなた」を使い分け、僕を巧みに選択肢の無い隘路へと追いやろうとしている。おそらく競馬予想サークルの企ては彼女が中心になって生まれたものに違いない。
        僕はおもむろに、受け取っていた御礼の帯封が付いた札束を夫妻に差し出した。それはまるで諸悪の根源がその札束に集約されているかのようであった。
        「やはりこれは受け取ることは出来ません」
        僕はそれだけ言うと席を立ったのである。
        | 統括本部長 ハッガリーニ | 葉山悟 | 23:09 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する |
        明るい悩み相談室PREMIER(19)  がりは
        0
          明るい悩み相談室PREMIER、本日の担当医がりはです。
          こんばんは。
          今日はどうされましたか?
          「背が伸びる薬って本当に効果があるんですか?」
          ほうほう、これは少し難しい相談ですね。
          本当に、というところにそれが現れています。
          今までいくつかの背が伸びる方法にだまされてきたんでしょうね。
          そしてつらい思いをしてきたんでしょうね。
          ついに行き着いた「背が伸びる薬」。
          これに裏切られたら本当に人間不信になってしまう。
          今度こそ信じていいの?
          わたしを裏切らないでいてくれるの?
          そんな気持ちで当相談室のドアをノックしてくださったのですね。
          わかりますわかります。

          しかし、背が伸びる薬は世界に一つではありません。
          その意味で他のあらゆるジャンルとおなじく玉石混交、資金力と目利きが物を言う世界です。
          目の前にその背が伸びる薬を持ってきてください、しからば鑑定してさしあげましょう。

          こういう台詞は一休さんの専売特許、当相談室はそのようなインテリの猥談を好みません。
          あくまで実践的かつあなたの立場に立ったアドバイズをさしあげます。

          あなたは背が高くなりたいのですか?
          背が高くなることで、どんなことを期待していますか?
          高いところからものを見たいなら肩車してもらうのでもいいでしょうし、どこかの展望台に行くのもいいでしょう。
          「いまを生きる」という映画でそんなシーンがありましたね。
          ラストシーンで机の上に生徒が立ち上がって、生徒を扇動した罪で学校を追われる担任に忠誠を誓います。
          私はそのシーンで「I do believe you.」という文を覚えました。
          余談ですね。
          今生きている、今見ている視点を疑いたい、相対化したいということであれば、背を伸ばさなくても可能です。

          背が高い人と思われたいなら、シークレットブーツを使うのはどうでしょうか。
          お座敷で飲むときはどうするんだとか、結婚したらばれてしまうとか、問題はあるでしょうけど、それは切り抜ける方法があるでしょう。

          他にも背が高い人になりたい理由はありますよね。
          私にも2つばかり背が高くなりたい理由があります。
          人並みはずれて頭が大きいので、スタイルのバランスをとるため。
          サッカーのゴールキーパーをしていたと言っても信じてもらえないほど背が低い(174cm)ため。
          でも何とか受け入れて生きています。

          忘れないでほしいのは、背が高い人には背が高い人なりの悲しみがあるということです。
          ある人はジャイアント馬場の物まねを強要されたでしょうし、ある人は膝の痛みに悩まされているでしょう。
          背が高いというだけで奇異な目で見られたり、カッコいいと思っていい気になってやがると思われたりもするかもしれません。
          それぞれの人にそれぞれの雨が降るんです。
          あなたが背を伸ばすことはかなえたい望みを実現するとともに、違う悲しみを引き受けることでもあるのです。

          背伸び薬に効果があるのか、私にもわかりません。
          効果があるものを持ったからといって、使うかどうかもわかりません。


          ※明るい悩み相談室PREMIERではあなたのお悩みを受け付けております。ブログにコメント、投票時にコメント、ハッガリーニにメール、電話、伝書鳩、のろし、などの手段でどうぞ。ちなみに投票時のコメントでのお悩みには必ず回答いたします。
          | 統括本部長 ハッガリーニ | がりは | 03:24 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する |
          情報の値段   ハッタリスト
          0
            どうせ物を買うなら安いに越したことはない、というのが消費者としては正しい姿勢でしょう。
            だから店を比較して安いほうを選ぶ、それが合理的というものです。

            ただ、比較ってコストなしではできないんですよね。
            そういうことを考えたことがありました。

            以前、背広を買う時に、僕は特に何も考えずに近くの某有名店へ行ったのです。
            僕は背広の善し悪しも値段の相場も全く知らないので、どんなもんですかと店員さんに尋ねて、これがウン万円でこれくらいがいいんじゃないですかと、そう薦められたわけです。

            (ちょっと不思議だったのは、店内にはどっさどさ背広が並んでいるにも関わらず、店員さんが候補をせいぜい10点くらいまでただちに絞り込んだことです。
            他のはどうやねんという気持ちもあったのですが、どちらかというと僕はさっさと買い物を済ませて一刻も早く立ち去りたかったので、店員さんにそれを聞くことはしませんでした。)

            ウン万円は高いなあと僕は日常的金銭感覚だけを基とする感想を持ちましたが、きっと背広だしそんなものなんでしょう。
            じゃあまあこれにしますと決めた時に、店員さんはこう言うのです。
            二着目は数千円で買えますよ、と。

            なんだそりゃと一瞬思った後で、僕は想像しました。
            ・これは、二着セットで買うのが前提の価格設定なのである
            ・つまり、一着だけ買うのは高すぎる
            ・一着だけ欲しいのなら、ここよりも安い店が必ず存在するはず

            特に根拠はないのですが、この結論は正しいに違いないと今でも思っています。
            しかしその想像が仮に正しいとしても、もっと安い店を実際に見つけない限りはそれを買うことはできません。
            以下もまた想像です。

            ・「もっと安い店」はこの店のような有名店ではない
            ・そのような店においては、商品の品質は自分で見極めなければならない

            僕には背広の善し悪しと値段の釣り合いを評価できるだけの知識はありません。
            それを身につけようと思ったら、けっこうな時間をかけて調べる必要があるのではないか、と想像しました。

            ちょっと考えた結果、僕はその某有名店で背広を二着買うことにしました。
            僕は背広を売っている店や背広の質のことなんか調べたくないのです。
            調べる手間をかける代わりに、この店でやや割高かもしれないけれど品質については大きな外れのない商品を買えばよい。
            つまり、情報に金を払うつもりで買い物をしたのです。

            そんなつもりだったので、高い買い物の割にはあっという間に終わりました。
            2011.09.24「精霊、幸せの価値を憂う」 byアフリカの精霊
            を読んだときに思い出した話です。
            | ハッタリスト | ハッタリスト | 23:47 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する |
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